母と一緒じゃなくていい
今朝、目覚めた時におりてきた言葉で
私がずっと母の価値観を採用してきたことに
気づきました。
最近、家族のことを振り返る機会があり
改めて両親からの愛情や感謝を身体で感じ、
父からも母からも影響を受けて自分をつくってきた私は、
母のことが大好きで憧れに似た想いを
抱いていたことを思い出しました。
(もちろん父のことも大好き)
***
家族のこと(特に子供)を一番に考え
3人の子育てをしながらパート勤務もして
毎日おいしいゴハンを作ってくれいた。
私が健康体であることや食べることが好きになったのは
間違いなく母の手料理のおかげ。
私への応援はいつも全力で
運動会のときは他の保護者よりも率先して前に出てきて
大声で応援してくれて誰よりも目立っていた。
思春期なら恥ずかしいかもしれないけれど、
私にとっては恥ずかしさよりも
その応援が私のパワーになっていて
何かと勝負ごとには燃えていた。
部活に進学や就職も私が決めた道には
周りがどれだけ反対しても
「うちの子は大丈夫です」といつも言ってくれていて。
”他人の評価は関係ない”
そんな母の根拠のない自信が
私の中でも本当に自信となって”決めたことはできる”という
マインドを持つようにもなっていた。
達成したときの母の喜ぶ姿が
また次何かを達成しようと思えて
チャレンジ精神を高められた一つかもしれない。
母の応援があれば無敵状態だった子供時代。
だからこそ、いつの間にか
達成感と母の喜ぶ姿が結びついて
”失敗してはいけない”という意識が
生まれたのかもしない。
もう一つ、
私が好きな母の姿は
友達と楽しくしているところだった。
今でいう”ママ友”がたくさんいた母。
明るくて陽気で社交性に優れていて
いつも笑顔でいてくれたのが子供心に安心した。
母親が周りと大人たちと交流できると
子どもの私も安心して楽しくいられる。
母のいる空間はいつも楽しくて安心感があった。
***
大人になって独立し、
私が母親になって改めて感じた母の有難み。
多くの女性はきっと
自分が母親になったときに感じるであろう
母の大変さと厳しい躾の中にあった愛情表現。
時間を守ること、
挨拶をすること、
言葉づかい、
身だしなみ、
守らなかったときのお仕置きは厳しかったけど
今はそれもありがたいものだったと思える。
母は母なりの愛情表現をしていたし
厳しさには自分の過去を
重ねてしまっていたこともあったかもしれない。
その時には見えていなかったことや
わからないことばかりで、
人生が困難になったとき
親のイヤな部分を持ち出してしまう。
育った環境のせいにしたり親の躾のせいにしたり。
でもそれを自分も同じことをしていると気づいたとき、
このループを断ち切りたいと思う。
自分と向き合って
母との関係性を振り返ってみると
出来事に良いも悪いもないことが腑に落ちると
感謝しかなかった。
無敵状態だった子供時代から
失敗を許さないように設定していた私にとって
母の全力の応援を思い出せたことは
その感覚を自分の中に再現することで
自分を苦しめていた設定から解放され
達成することと母の喜ぶ姿を切り離すことができた。
母の喜ぶ姿が見たかった。
シンプルにそれだけだとわかったとき
”母親”という役割を
母の価値観を採用していたことに気づいた。
大切にしたい価値観は人それぞれだと
理解していても
”母親”という同じ役割を持ったとき
お手本は母親しかいない。
だけど一緒じゃなくていい。
家族を第一にすることと
”ママ友”との交流は私には優先順位が低い。
私の生き方に”母親”という役割は
私らしく生きることでしか子どもに渡せるものはない。
ループを断ち切るには
母からもらった喜びの感覚を自分の中で再現し
それを自分自身にも与えていくこと。
私の場合は、全力で応援すること。
自分自身や周りの人を全力で応援することで
自分を満たすことができる。
達成できなくても失敗しても応援し続ける。
”他人の評価は関係ない”
つなげていくのはポジティブな体感と
自分の大切な価値観をもとにした在り方で。
新しい前提に書き換えることができました。
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