窮屈さから選ぶ自由へ
愚痴や不満があるうちは
まだまだ自分の力を信じられていない。
誰かや何かになんとかしてもらおうとして
自分の本当の力を発揮しないでただ傍観しているだけで
自分の人生の舵を放棄している。
愚痴も不満もあって当然なのは、
ありきたりな選択を繰り返してきたことや
周りと同調してきたことによる魂が窮屈さを訴えているから。
魂の不快を無視することは
自分で人生を創っているという自覚なく
ただ時間が過ぎるのをただそれなりに過ごすから
身体は衰えていくしかないのです。
身体は意識でありエネルギーです。
魂の喜びに生きると、身体エネルギーは高まるので
選ぶ自由を獲得していきます。
与えられた場で全力で生きるなら
愚痴や不満も自分のために創造する力へ変えていく。
「自分は何もしません」と宣言しているような在り方から
自分を生きる自由を選ぶ。
今までに、何度も自由になりたいと願ったことがありますが
それは自分の力を信じていなかっただけだったと思います。
動かされる人生は窮屈で不自由さを感じるから、
文句を言う前に自分から動く。
自由と不自由どちらも選べる自由がある前提で
どちらを選びますか?
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