好きだからこそ盲信してしまう
燃え尽きて、引きこもって、
全ての人が信じられなくなったきっかけは
”好き”からだった。
好きだからこそ
冷静に判断することや自分の意見を飲み込んでしまうことは
どんな場面にも起こり得ること。
ずっと過去をたどれば
親のことが好きだから言われたことをそのまま信じるし
期待に応えようと努力もする。
同じパターンの繰り返しで
あらゆる人間関係や仕事にも置き換えられると思う。
好きな人との関係も仕事のスタイルも
自分を見失ってしまうのは”好き”だから。
盲信しているから
自分を見失っていることに中々気づかない。
好きでもないものには
愚痴や不満を吐くだけか、すぐに違う選択ができる。
人生の中で、一度も自分を見失うことなく生きるのは
あり得ないし、何かを信じ切ってみるのも悪くない。
だけど、いつかは自分の本当に気づくときがきて
そのときにはじめて冷静さを取り戻すことができる。
次の新しい選択をするとき。
***
私が”好き”から盲信したことで
他人軸にブレてしまったきっかけは
ピラティスのインストラクターになったこと。
インストラクターになる前から趣味としてやっていたから
それを仕事にできた喜びで最初は大満足だった。
全てが新鮮で楽しくて
新しいことを知る度にある発見にワクワクして
早くお客様に伝えたい!って思っていたしその達成感も最高だった。
純粋に、ただ”好き”や”楽しい”っていう気持ちだけだったのに
もっと高めようとすればするほど感じる違和感は、
純粋な気持ちに期待や欲が混じって純度を落としてしまう。
社会の価値観やルールに従うことによって
純粋な想いそのままではいられない。
そのルールに違和感や窮屈さを感じているのに
他人や何かからの”評価”というものによって
妥協することや飲み込んでしまうことや執着が
さらに自分を見失っていくことになる。
与えらたルールを当たり前だと思っている人には
気づくことのない違和感だけど
気づいた人は一度立ち止まって自分の意志を取り戻すとき。
気がついたときには
自分の本当の想いがどこにあったのか忘れているかもしれないし、
好きだったことも嫌いになっているかもしれないけれど、
必ず最初を思い出せば次の新しい選択ができる。
***
他人や環境(社会)とどんな関係をつくっていくかは
自分の想い次第。
好きだからこそ、言われるままに従うよりも
新しく生み出す可能性に目を向けていく。
古い場所に留まっていると
自分への不信感が不快な出来事を招いて教えてくれる。
自分の”好き”に立ち返れば
確実にステージが変わって自由に選べます。
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