「自分の人生って何?」の答え
「自分の人生って何だろう?」
「何のために生きてるんだろう?」
そんなこと思ったことはありますか?
私は2017年2月に
娘に言われたある言葉をきっかけに
「自分の人生って?」と問い始めました。
仕事は順調、特に困ることはなかった日常生活なのに、
「何かが違うかもしれない」
”自分探し”がスタートしました。
2023年2月、
その答えを見つけたときは絶望しました。
それなりに達成してきたことや
努力してきたこと、
得てきたもの全ての原動力が本当の意味で
”自分自身のため”ではなかったからです。
自分が選んだこと、
自分が決めたこと、
自分が動いたこと、
全てはエゴの言いなりだったこと。
この奥にある観念は明かしませんが、
これに気づいたとき
自分が今まで見ていたもの全てがひっくり返りました。
ものごとを真実ではなく
自分の都合のいいように捉え、
他人のことを在るがままではなく
一側面でしか見つめていなかったこと。
受け入れ難いことではありましたが、
それは自分の中で納得いく唯一の答えでした。
物質的なものがそこそこに満たされても
心が満たされなかった理由や
ある時点から
自分が自分じゃなくなっていく感覚や
何をしても失敗や困難を招く状況を
繰り返し続けていたことも
全て合点がいくものでした。
「まだ自分の人生を生きていなかった」
これが答えでした。
では、誰の人生を生きていたのか?
ここにその奥にある観念があり、
私のカルマでもありました。
だからこそ、
どうしても解放する必要があるもので
多くの手放しをしました。
自分の人生と向き合うとき、
一番恐れているものや痛みのあるものを
突きつけられるのですが、
絶望感と同時に喜びもありました。
物理的成功では得ることができない
自由を手に入れられるのです。
以前から伝えている
”自分の声を取り戻す”ことの大切さは
自由を手に入れる大前提です。
この答えに出会うまで
たくさん学んで実践して失敗して
ほとんどが報われない結果がばかりで
人、仕事、お金、多くのものを失いました。
生業としていた健康も
身体も心も壊して引きこもりにもなりました。
”自分探し”ができるのは
まだ余裕があるからだと思います。
そこそこの結果を出したり
それなりに楽しい仲間がいても
本当の本当は満たされていないのであれば
違う道があると気づくべきです。
それをし続けることが悪いわけではありませんが、
その答えは学んでも絶対に見つからない。
底の底まで堕ちたとき、
「抜け出す」と決めました。
そして
「自分に正直になる」と覚悟しました。
人は簡単にそして平気で
自分に嘘をつきます。
それが当たり前だと思っているし
間違っているとは思いたくない。
けれど、
「自分の人生って何?」と
一度でも思ったことがあるなら
答えを外側に求めてもいけないし
痛みと向き合う覚悟も必要です。
自分にとって一番強烈な痛みほど
何重にもガードされているから
辿り着くのは容易ではないけれど
そこに光が当たるとき
自分の人生を生きるステージに立つことができます。
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