人生を変える2つの選択
人生は常に選択の連続であり、
目の前の現実を変えたいと思うなら選択を変える他ありません。
この「選択」とは、大きなことよりも
むしろ小さなことや些細なこと。
今の今まで自分と人生を創り上げてきた
自動でやっている選択を変えていくことです。
そのためには、自分が当たり前にしている選択から生み出されいてる結果(現実)から
どんなフィードバックがあるのかを直視する必要があります。
いつものパターン、なじみ深い選択、安全領域、など
長年無自覚にしてきた選択が不本意な現実をつくっていることに気づくことから。
そして、真摯に自分と向き合ってきた人は
その繰り返してきたゴミパターンを捨て、新しい選択を試みようとするはずです。
ここで、新しい選択とは何か。
それは自分にとって快であることでなければいけない。
魂の選択なのですが、
現状が苦しみや辛さで行き詰っているときは魂の声を聴くことは難しいです。
だからこそ、目に見える肉体を基準にすることで魂への通り道ができます。
【人生を変える2つの選択】
①身体が喜ぶこと
どこかで耳にすることもあるかもしれない表現ですが、
今まで自分の声を無視してきた人にとっては結構難易度が高いです。
身体の快は、「動、静、触」の三種類あります。
睡眠や瞑想などの静はイメージしやすいかもしれません。
勘違いしてしまうのは動ですが、
身体が心地よい程度の動きでなければいけません。
”運動”のイメージが激しさやストイックなものが先行しているため、
多くの人は案外動的な身体の快を知らないのです。
ストイックに筋トレして体を痛めたり、
がんばって動いた後に暴飲暴食したり、
これらは間違ったやり方で身体は不快を訴えます。
↑
これこそがゴミパターンです。
動的な身体の快は、日常生活だけでも十分に感じることができるものです。
家事や育児やその他の生活面に置いて自分の身体が何を感じているかに意識を向けることは
動的な快の体感を蓄積させていきます。
その積み重ねの結果、
生活が丁寧になっていくため身体エネルギーはかなり上がります。
仕事や人間関係など自分の日常から外側と関わるとき、
自分にとって最善でかつ他者にとっても快をもたらします。
「在り方」と言えるでしょう。
身体が喜ぶことは、
自分に向けても自分以外に向けても
どんな行為であっても必ず後から心地よさを感じます。
がんばって運動したのに、その後で暴飲暴食をした場合、
ほぼ後悔や罪悪感でいっぱいになると思います。
反対に、丁寧に掃除をしたあとは自炊しようとするかもしれません。
無理のない運動のあとは質の良い食材を選ぶかもしれません。
人間関係でいうならば、
感謝を伝えたあとはさらに感謝の気持ちに包まれますが、
気持ちのない感謝のあとは自分がどう見られたかを考えたり
相手のエネルギーをエサにして結果として人とのつながりが途切れます。
そして、身体が喜ぶことで結構見落とされがちなのが「触れる」ことです。
スキンシップ。
自分で自分の肌に触れることは最強の自己受容だと思っています。
自分の掌がゴッドハンド。
日頃自分の肌に触れていない人はぜひ試してみてください。
自分の中の奥深い部分から癒しが起こり、自分の声を聴くことができるようになります。
日頃から身体が喜ぶ3つの選択を意図的に増やしていくと満たされていき、人生は自然と変化が起こります。
②マインドが喜ぶこと
さきのストイックな筋トレや暴飲暴食などがそうです。
仕事でも、過剰な責任を負って何かに逃げて(快楽的なこと)失望したり、
人間関係では自分を卑下したり媚びを売ったあとの後悔や罪悪感。
自分には何かが欠けていると勘違いしている部分を何かで満たそうとする行為のあとは
必ず自分を責めたくなります。
それを選ぶ瞬間は自分にとってもメリットがあるはずなので、
いつものパターンやなじみ深い選択に気づき手放したいと思うならば
その瞬間を掴まえて、暴走しそうな身体をじっとさせるんです。
古いマインドからの指示によって、結局は身体を使うから行為が生まれます。
そのサインは感情や思考にあり、じっと見つめて解放してあげます。
身体から消えていくのを感じると、
新しい選択=身体が喜ぶ選択をすることができます。
慣れないうちは、「何もしない」という選択が最善の場合もあります。
人生を変えるためには、
どれだけ手放すことが出来るかの方が重要だと思っていますし、
不要かどうかを見極めるのに身体を基準に置いていくと
エネルギーの好循環が生まれ、
軽やかに自分の意志から選択をすることができます。
その行為のあと、
自分は快か不快か?
他者にもたらすものは
快か不快か?
トレーニングすればとてもシンプルです。
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